クソ雑魚大学生の日記ブログ

クソ雑魚大学生である私の日常をつらつらと綴る。
主は果たして成長してくれるかどうかを見守るための日記。

なぜ僕はダメなのか

はい、今回のお題は「なぜ僕はダメなのか?」ということです。


まず駄目と言ってもいろいろと基準がありますよね。
まずはそれを定義していきたいと思います。


じゃあ簡単に言って駄目な人間というのがどういうものか自分なりに考えてみました。


★駄目の定義


①周りにいる人間の平均以下


では今回はこの駄目な定義という超曖昧なものですが思い浮かんだものの一つを紹介します。
それが「周りにいる人間の平均以下」です!


お前、何そんな当たり前のことをどや顔でいってるんだ?と言う冷ややかな目線が非常に苦しいですが、話を続けましょう。



これはあくまで例ですが、私があるクラスに属しています。
そのとき私はテストでクラスの人数の半分以下の順位を取ってしまいました。
つまり私は勉強においてクラスの1/2以下の人間だということになります。


これはどうとらえても私という人間がテストではクラスの半分に負けたということになります。


テストで点数を取れなかった理由としてあげられるのは、
単純に努力不足。
体調が悪かった。
昨夜寝てなかった。
苦手なテストであった。
などなどetc.です


私個人の主観としては上位10%に入らなければその科目においては駄目だなぁと感じます。


(あくまで例えの話であるので勉強ができないからといって=駄目人間だと言いたいわけではありません。
またzako自身勉強=良い人間と思っているわけでもありません。


もし勉強=良い人間なら私はきっと蛆虫レベルでしょう)



しかし、ポジティブにとらえようとしてもこの時点で半分の生徒に負けているわけですから駄目の定義には十分当てはまっているでしょう。


何が言いたいかというと周りの人間の半分以下ではおおよそ駄目だということです。



では、ここで私自身の話をしましょう。


私は中学の頃ですが不登校になるまでは40人中7位から8位とかでした。
私は超絶田舎の出でありますので各学年の人数は平均40人で私の学年は42人ほどでした。
ちなみに、私の学年には外児が多かったので不登校が6人いました。
つまり私の学年の約14%は不登校だったわけですね(白目)


はい、話がそれました。


それで私はそこまで勉強に対いて良い感情を抱いてはいけません。
もちろんそれは母親の英才(ヒステリック)教育の賜物です( ;∀;)


私の中の勉強に対する固定概念は「勉強=やらされるもの」です。
逆に言えば私は塾に行かされていましたが、どれだけ早く終わらして家に帰れるかということをモチベーションに頑張っていました。
学校でもどうすれば一番楽に終われるか?ということを自問自答しながら毎日過ごしていましたね。



塾では国語と英語を取っていたのですが(数学はそれなりに良い成績だったためとらなかった)、だいたい毎回1時間ぴったしに終わって帰っていました。


長いときは泣きそうになりながら2時間くらいかけたときもありました。


また、周りは塾にあまりいってなかったため、それで7位とか8位の自分は相当頭が悪いんだなと勝手に思ってました。


というわけで、自身はあまり頭がよろしくないということを自覚したのはこの時期でした。


これに拍車をかけたのは私の父親がほぼ毎回のようにテストで上位の成績をとっていたと聞かされた時ですね。
父親は割とどころではない努力こそが全て、さぼるのは甘え、という努力至上主義の方なので私は母親に似て退化したのだろうと思っています。
こんな書き方をすると母親に対して相当失礼なので今後は控えます。


私の頭がよろしくないのは自己責任と思っておくのが一番精神衛生上よいので...苦笑い



実際に父親は夜の1時とかまで働いてくることが幼い時はよくありました。
幼いころの僕はそれはそれは尊敬していたものです。
僕はいつもお父さんのように深夜1時まで働けるような立派な大人になるぞ!と誓ったものです。


実際に現状を理解してくると、それはそれは落ちこぼれましたが今ではまったく気にしていません。


......それはどうなんだ? という話ですが(笑)



じゃあ改善したいなら何をすればいいか?


それは、今までやってこなかったことをすればいいのです!


もし勉強で努力をしなかったなら努力をすればいいのです。
一日1ページでもいい、教科書を開き目を通し読むのです。


テスト当日に体調が悪くて点が取れなかった?
ならテスト一週間前から早寝早起きを心掛け食生活をただせばいいのです。


寝不足なら寝る。


はい、解決です。
は~良かった良かった。
これで私も駄目人間から良識あるまともな人間レベルにはなれたのだ。
はー良かった良かった。









......なんて普通なりませんよね?(笑)




それこそ最初からそれができるなら私はもっといいランクの大学に行って、親を困らせることなく、不登校などならずに、テストは常に上位で、部活の後輩からは慕われて、恋人に困ることなく、楽しい人生を送れているはずですよね?



勉強が2時間もすれば集中力が消えるから学力は上がらないのです。


テスト前日にどうしても不健康な生活を送るから、テストの点は悪くなるのです。


母親のヒステリックを自分が思うように治せたならこうも苦しんでいないのです。


クラスに外児が多いのが嫌だからといって簡単に転校できるなら、こうも性格が悪くはならないでしょう?



まさに言うは易しとは正にこのことですね!




現実は頭で考えるより複雑でどんな数学な問題よりも難しいのです。

私がアインシュタインの特殊相対性理論を完璧に解き明かしたところでリアルの問題に影響は何も与えないのです。


私(あっ、この状況アインシュタインが言ってたところだ!
つまり、動いている物体は速く走るほど重くなるってことだから光より速くならわけだ!)


という状況になることは100%ないわけです。


まぁ、現実での選択にまず完璧な解答というのは存在しないのですが......。


性格に言葉にするなら「自分が望んだ未来の結果」それが現実における正解ですよね。
あくまで理想の未来なんてのはほぼ私はきたことなどないのですが。




さて、話がなかなか脱線しましたが、文字数は稼げたはずなので今回のお題をまとめて終わりにしましょう!


僕にとっての駄目な定義とは、周りの人間の平均以下ということです。


そして、その結果を変えようとするにはそれなりの意思が必要ですということです。


じゃあ、僕が実際に平均以上になれたらブログで報告しますねー!


結局実績がある人間が言う言葉と何もない人間がいう言葉はまるで重みが違いますからね。



ぼく「やればできるよ」


松岡修三「やればできるっ!」



はい、今回もお読みいただきました方ありがとうございます。
内容はできるだけユーモアあふれるよう書きますので次もご覧くださればうれしいです。


今のところ月30以上投稿するので(気持ち的に)


よろしくです(*ノωノ)!!